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中判カメラ
ある雑誌の記事によるとデジタル全盛期の昨今において、ブローニーフィルムの売上げが伸びているという記述がありました。ここまでデジタルカメラが普及し一般化する以前は間違いなく35mmフィルムカメラがカメラのすべてであると言っても言い過ぎではなかったのですが、デジタル技術の凄まじいまでの発展により、いまや完全に趣味の世界へと追いやられてしまっています。カメラショップに足を運ぶと、新品コーナーはデジタルカメラ一色で、フィルムカメラは中古コーナーの片隅でしか見られなくなり。同様に用品やアクセサリー類についてもデジタルカメラ向けの商品群が前面に押し出され、フィルム関連用品は埃をかぶっている(ホントにかぶってました)状態です。
そんな中で売上げが伸びているフィルムフォーマットがブローニー版と呼ばれるフィルムなのです。あまり聞きなれないフィルムだとは思いますが、その歴史は35mmフィルムよりはるかに古く1901年生まれです。(ちなみに35mm判は1934年生まれ)現在ではフィルムカメラはそのフォーマットによって4×5判以上のシートフィルムを使う大判カメラとブローニー判を使う中判カメラ、そしておなじみの35mmカメラに分類されています。35mm版はもはやデジカメという大波に対してその地位を保つことは困難になってきている状況ですが、中判以上のカメラについては、まだまだデジタルが足を踏み切れていない領域に位置しています。
そこで今回は中判カメラについてtomozoの思うところを述べてゆきたいと思います。しかしその前に、「なぜ銀塩にこだわるのか?」についてtomozo自身のスタンスを明示して前提にしておく必要がありますのでそちらからはじめさせていただきます。
銀塩写真の魅力
とても一言では言い表せないのですが、銀塩写真にはデジタルにはない魅力があります。以下にtomozoが考える銀塩写真の魅力について一覧にしてみました。あくまでtomozoの主観であることを断っておきます。
| 1.形に残る原版がある。 |
| 2.すぐに画像を確認できないため、被写体に対しての感性が磨かれる。 |
| 3.ポジフィルムの場合は撮影の時点ですべてが決まるため、自らの技量の向上に繋がる。 |
| 4、ライトビューワで見るポジは本当に美しい。 |
一つ一つ説明する必要がありますね。
1.形に残る原版がある。
表題そのままですが、銀塩写真には「形に残る原版」が存在します。そもそも写真は目で見て楽しむものですから「形に残る〜」という発想自体がすでに本末転倒であるかと思います。しかし私は「形に残る原版」が存在することに非常に喜びを感じています。これは「絵画」や「工芸品」のコレクションに似たものかもしれません。「自らが作り上げた作品」が「実態のないデジタルデータ」であるという認識に耐えることができないのです。
2.すぐに画像を確認できないため、被写体に対しての感性が磨かれる。
デジタルカメラがここまで一般に普及した大きなの要因の一つは「撮影した画像をスグに確認できる」ことにあると思います。これは非常に重要なことです。絶対に失敗が許されない写真を撮らなくてはいけない状況というものは普段の日常生活においても頻繁に起こりえます。例えば記念撮影であったり、結婚式や送別会での撮影であったり・・。こういったシチュエーションにおいて「ちゃんと撮れてるかわからない」カメラは不安ですよね。だからこそスグに画像を確認できるデジタルカメラは人気が出るのです。
撮影は一期一会です。それは風景撮影であっても同じことです。できればワンカットワンカットを完璧に撮影したいものですが、そうもいかないのが現実です。しかしデジタルカメラではそれができてしまいます。すぐに画像を確認できるため、撮影に失敗すれば、その写真を「なかったこと」にできるのです。そして改めて撮影すればOKですので、ワンカットワンカットを完璧に撮影することができます。とても理にかなってますね。
しかし、その写真は果たして完璧なものなのでしょうか?極端なピンボケや露出のズレは除外するとして、最初にファインダーに捕らえ、失敗したその写真はまぎれもなく、撮影した本人の感性(ファーストインプレッション)が撮らせたものです。その写真のデキが悪かったから「リセット」してしまうのは言い換えれば「自分自身の感性をリセット」してしまってるのと同義ではありませんか?そして巷の雑誌や写真集に出ているような「それらしい写真」を完璧な写真だと自分に言い聞かせていませんか?プロのカメラマンならまだしも、アマチュアのカメラマンが「それらしい写真」を量産してしまうのはどうかと思います。「思うところあり第4回」でも書きましたが、プロは万人が納得する写真を撮る必要がありますが、アマチュアは自分が納得できる写真を撮ることにあります。したがって、最初にファインダーに捕らえた風景が自分の琴線に触れないということは、それは真面目に被写体に向き合っていないという証明になるのです。「スグに画像を確認できない」このフィルムカメラの欠点は、そういった意味でとても貴重な利点であると私は考えます。
3、ポジフィルムの場合は撮影の時点ですべてが決まるため、自らの技量の向上に繋がる。
これは2と重複する部分がありますが、一期一会の撮影をできるだけ失敗せずに撮影する技量を磨くにはやはり銀塩カメラが向いていると思われます。というのもデジタルカメラの場合は撮影後の補正がかなり幅広く行える点にあります。逆に言えば多少の失敗はパソコン上でフォローできるということです。だから「とりあえず適正露出で撮っておいて後で補正すればいいや・・・」という思考に傾いてしまいます。それに対して銀塩は(特にポジフィルム)は撮影した瞬間にすべてが決まり、後での補修は大変困難です。だからこそ技術的な失敗を防ぐ技量が磨かれていくのです。
しかしデジタルでもとてもシビアな撮影方法が存在します。それは画像の保存形式をJPEGに設定しておくことです。JPEGは非可逆圧縮のフォーマットですから、撮影の後に補正をしようもんなら、その写真の画質はどんどん劣化していきます。撮影した時点で画質が決まってしまうJPEGフォーマットは、まさにデジタル版ポジフィルム言えるかもしれません。
4、ライトビューワで見るポジは本当に美しい。
これについては言葉でもパソコンの画面でも(笑)説明することはできません。ポジフィルムをライトボックスの透過光で見る美しさはどんなデジタルカメラでも凌駕することはかなわないでしょう。デジタルオンリーの方も機会があれば是非ポジフィルムの美しさを体感してみてください。きっと新しい世界が開けますよ。
以上のような理由により、デジタル全盛期の現在においてもtomozoは銀塩写真を撮り続けているわけであります。おそらくデジタル派の方からは大きな批判を頂戴することになるだろうと思いますが、これだけ断っておきます。
tomozoはデジタルカメラも大好きです!(苦しいか・・・)
今回は中判カメラの魅力についての解説に入る前に銀塩写真に対するtomozoのスタンスを言葉にしてみました。次回より中判カメラ、中判写真の魅力についてご紹介したいと思います。
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